SEMBL

SEMBL : Diary

via SEMBL-INDEX

[ OTHERS ]

SZK

菱形にSUZUKIの略語のSZK。
鈴木商店を知っていますか?


山岡 淳一郎さんが日経で金子直吉、鈴木商店についての連載を開始されました。
ぜひ、知ってもらいたいという個人的な思いを込めてその第一回の全文を掲載させていただきます。
すばらしいアイデアとヒントに溢れた男、金子直吉の人生に触れてみてください。


<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


日本は明治維新で国を開いたものの、ずっと貧乏だった。
資源のない国は交易で立たねばならぬ。


ところが商人たちは「不平等条約」で外国商館に首根っこを押さえつけられた。関税の自主権もなければ、治外法権で外国の商人がカネを払わなくても泣き寝入り。マルコ・ポーロが「ジパング」と呼んだ黄金の島から「金(きん)」の正貨は羽が生えたように海外へ飛んでいった。


その頃、世界経済は「金本位制」で動いていた。金を本位貨幣として通貨の単位価値と一定量の金が兌換され、自由貿易を介して等位で結びつけられるしくみ。早い話が、円だ、ドルだ、ポンドだといっても世界共通の通貨は金だったのだ。金の流出に慌てた明治政府は、金銀複本位、銀本位と身をよじらせるように制度を変え、日清戦争後に金本位に復帰した。日本は本格的に世界経済に組み込まれる。だが、貧しさは苔のように社会を覆った。


外国にモノを売って金を奪還し、蓄えねば富国は夢に過ぎない。


ここで、「国を背負って金を奪れ」と勇猛果敢に挑んだのが、(五輪選手ではなく)維新で士農工商の身分制から解き放たれ、地べたから這い上がってきた男たち。かれらは腹に「士魂商才」、世界と直に勝負をした。こんにちの日本経済の土台をつくったのは、間違いなく、この「金ぴか」な人びとである。


「初夢や 太閤 秀吉 奈翁(ナポレオン)」。(白鼠、白鼠は、鈴木直吉の俳号)


いまから90年ほど前、日本の国家予算を超える年間売り上げを記録する会社があった。
鈴木商店。
神戸に拠点を置く商社である。
神戸製鋼、帝人、双日、IHI、太陽鉱工、サッポロビール、日本製粉……現代に続く錚々たる企業が、鈴木商店を母胎にしている。


その鈴木商店の総帥・金子直吉は、決断力と実行力から「財界のナポレオン」と呼ばれた。資源のない日本を交易立国として羽ばたかせる原動力となった。「生産ほど尊いものはない」が口癖で、ありとあらゆる産業を興した。


史上最大の起業家である。


だが……昭和金融恐慌のただなかで鈴木商店は倒産してしまう。その一事をもって教科書的な歴史観は金子直吉を単なる「成金」のように扱う。はたしてそうなのか。


金子直吉と鈴木商店は、常に世界経済と直に向き合っていた。


その興亡を丹念に追うと、政治や経済が何によって動かされているかが見えてくる。金子直吉の人生にホコリをかぶせておくのはもったいない。金子の世界を相手にした「大欲」と「美学」は、内側へ内側へと萎縮しつつある21世紀の日本に強烈な刺激を与えるだろう。


鈴木商店は倒れたけれど、破産はしなかった。世紀を超えて大輪の花を咲かせている。


樟脳(しょうのう)の相場が、火の粉を巻き上げて高騰している。
鈴木商店の番頭、金子直吉は、蒼ざめて大阪の街を歩いていた。


このままでは、店を潰してしまう。どないしょう。旗売り(先物の売約=空売り)に手をだしたばかりに……。悔いても、時計の針は戻せない。


「お家さん」と呼ばれる女主人「よね」は、直吉の大ミソにも「仕方ない。北浜の兄さんらに相談しましょ」と腹の太さを示してくれたが、その信頼に応えられなかったことがかえって辛い。お家さんと一緒に神戸から大阪に来て、後ろ盾と頼む人たちとの鳩首会談に臨むも、あまりの事の重大さに、


「直吉、善後策と併せておまえの一身上の話もするさかい、ちょっと座を外してくれ」
と、追い出された。直吉の、ただでさえ虚ろな斜視が、宙をさ迷った。


ときは、明治29(1896)年1月。日清戦後の講和条約が調印されて「台湾」が日本の新領土となって一年も経っていない。樟脳の高騰は、この台湾領有と深く係わっていた。


当時、クスノキから採れる樟脳は、医薬品や防虫、防腐剤、さらにはセルロイドの原料に幅広く利用され、世界的な市場を形成していた。台湾は、中央山塊に楠の巨木が林立しており、世界の樟脳生産の七割を占めた。


値をつり上げた張本人は、英国の海軍士官上がりの大相場師であった。元海軍士官は、「台湾民衆の武装蜂起で統治に手間取る日本が混成旅団を基隆港に上陸させた」との電報をロンドンで受けとるや、しばらく樟脳は市場に出てこないと判断。一挙に買占めた。


そんな国際的仕手戦が展開されていようとは直吉は夢にも想わない。百斤あたり40円が上限と読んで外国商館に空売りを仕掛ける。ところが、価格は50円、60円、70円とみるみる上昇。契約どおり現物を渡したら鈴木はたちまち破産する窮地に陥った。


直吉は、もがいた。北浜から安治川橋のたもとの樟脳店、肥後橋の知人、東京の銀行家が泊まる宿屋を訪ね歩き、焼け石に水を承知で、少しでも安値で現物を仕入れようと試みる。が、行く先々で「たった今、75円で売った」「80円を突破した」と聞かされ、二の句が告げない。とうとう天満の天神様で神頼み。池の鶴に鰌を与え、鯉に麩をやっているうちに「ああ、人間をやめてしまいたい」と嘆く始末。


日が落ちて、そろそろ話もまとまっただろうと北浜に戻った。


「大きな損をしてくれたもんやな。だが、おまえはわれわれより樟脳には詳しい。任せた。損を少なくして解決せよ」と申し渡された。何のことはない。自分でカタをつけるしかなくなった。


神戸に帰るとオットー商会から現物引渡しの督促状が届いていた。慌てて対応しては順逆を誤る。落ち着けと己に言い聞かせ、まずは最大の売約先であるシモン商会から口説き落とそうと腹を固めた。


金子直吉、30歳。命を投げ出す覚悟をした。
懐に短刀を入れてシモン商会を訪ね、主人を前にやおら口を開く。


「こうも四方八方から責められては、鈴木は破産する他はありませぬ。お引き立てくださる貴商会にできるだけ義務を尽くそうと心得ますが、思うようになりません。わずかの品物と3500ドルで勘弁していただきたい。できぬとあらば、主家鈴木に対して、この金子、申しわけなし。この場で、腹を掻き切ります」
と、抜き身をキラリとひらめかせ、卓上に置いた。本気だった。
灰色の斜視の奥に命がけで「解け合い」に挑もうとする商魂が燃えていた。


解け合いとは、不時の事変や買占め・売り崩しなどで相場が急変した場合、混乱を防ぐために売り方と買い方が話し合って、一定の値段で決済し、売買契約を「水に流す」手法である。極めて日本的だが、これ以上、取引先を追い込むと市場そのものが崩壊しかねない危機においては、共存の手段として有効だ。現代では、2005年のみずほ証券による「ジェイコム株誤発注事件」で大混乱が生じた際、日本証券クリアリング機構は現金での強制決済による解け合いに持ち込んでいる。


…と、歴史のあと知恵で解説はできるけれど、この頃、外国商人に解け合いの発想はなかった。弱肉強食で相場を読み誤った者は身ぐるみ剥がして放り出す。それが西欧の相場師の流儀であった。


若造め、何をぬかすか、とシモンは冷酷な視線を向けた。直吉は、からだに命がけの熱い血流が脈打つのを感じながら、頭で理屈を組みたてた。


「……無理なお願いとは重々承知しておりまする。しかしながら、シモン様、わが鈴木は、小なりとはいえ、この開港地、神戸ではそれなりの信用を培ってまいった店でございます。信用は長い歳月を経て、神戸に集う商人が裏打ちしてきたもの。鈴木ひとつが倒れて始末のつくものではございません。鈴木が潰れれば、神戸全体の信用に傷がつきまする。神戸を潰しては、元も子もありますまい。上海か、香港に移られますか。解け合いを呑んでいただかねば、即刻、ここで腹を切ります」


海千山千のシモンも、あまりの気魄に圧されたか、ついに表情を和らげた。


「羊毛商売で多少の儲けがあったから、鈴木の契約不履行による損を補える」と応じた。ただし現金の額は押し問答。結局、500ドル上積みし、4000ドルで解け合った。


気をよくした直吉は、攻めに転じる。オットー商会との難局も同様の手口で乗り切った。
そして周りを見渡せば、樟脳取引が暗礁に乗り上げているのはじぶんだけではなかった。


他の商人も苦しんでいた。相対の取引は、話がこじれると「情」と「理」の切り分けが難しくなり、にっちもさっちもいかなくなる。外商も、内心、早く解決のメドをつけたいのだが、稼げるときに稼ぎたい。目の前の利に縛られて感情が先に立つ。


直吉は、この状態を「好機」とみた。


間に入って、話を整理すれば解決はさほど難しくない。第三者という「壁」になってやれば、双方、思いのたけをぶつけてくる。言いたいだけ言わせておいて、感情のガス抜きをしたうえで解け合いに持ち込めば、むしろ感謝されるかもしれない。


直吉は外商と日本人商人の間に入って、仲裁に乗り出した。
そして、双方から3千円ずつ、都合6千円もの手数料をせしめたのであった。


これを鈴木商店の資本にして、取引を再開。転んでもタダでは起きない。翌年には鈴木名義で10万円の預金を蓄えた。そのころの国家予算は2億2千万円だから、現代なら百億円単位の内部留保になろうか。


この樟脳商戦を経て、直吉の目はいよいよ「世界」に向く。外国との交易でいかに情報が大切かを思い知る。とともに「金の融通がついたら」買い出動はしても、「生涯ハタ売りは決して仕るまじく候ことを心で契った」(大阪毎日/大正12年5月24日付)と空売りと訣別。鈴木商法から空売りは消え、現物の情報重視の体制が敷かれた。


金子率いる鈴木商店は、煮え湯を飲まされるきっかけとなった「台湾」へ進出。世界へと羽ばたくのであった。


-----------------------------------------------------------------------


2007年9月末、安倍晋三前首相が政権を放り出したころ、私は神戸の追谷にいた。


政界にたむろする二世、三世議員は、時代の荒波の前でいかにも弱々しかった。あちこちで新しい器が求められているのに失望感が漂うばかり。次代を託せそうなリーダーは、見当たらない。


想えば日本社会の土台は、戦前にほぼできあがっていた。


土台をつくった人たちは何を考え、何に悩み、七転八倒するなかで何を生み出したのか。もう一度、歴史の現場に立って、リーダーの資質に触れてみたい。そんな思いで神戸を訪ねたのだった。


三宮からまっすぐ坂道を上りきり、六甲の山ひだに入る。霊園の入り口で花と線香を求め、急な石段を昇り続けた。彼岸を過ぎても残る暑気に汗がふきだす。振り向けば、遠く淡路、紀州の山なみがかすんで見える。


高台の開けた一角に「鈴木一族之墓」は立っていた。大正時代、三井、三菱を凌ぎ、世界に名をとどろかせた鈴木商店、創家の墳墓である。


その「お家」を護るように、経営を仕切った専務の金子直吉、金子が後継に期待しながら46歳で急逝した西川文蔵らの墓石が周りを囲む。一族郎党、肩を寄せ合う姿を改めて眺めてみれば、その数は十基に満たない。


「よくまぁ、これだけの手勢で……」と、思わず独り言が口をつく。


全盛期の鈴木商店は、鉄鋼、造船、石炭、化学、繊維から食品に至るまで七十数社を傘下に収め、スエズ運河を通過する船荷の一割を占めた。国家予算を超える年間売り上げを記録し、外貨を稼いで日本を債務国から債権国に押し上げた。第一次世界大戦の長く延びた欧州戦線では、鈴木商店のマーク「SZK」が刻印された小麦袋で塹壕が築かれている。


鈴木商店は、自ら輝き続ける恒星だった。


やがて関東大震災後の震災手形の処理がきっかけで台湾銀行との関係を絶たれて破綻するのだが、恒星が一生を終えて超新星爆発を起こすように、その懐から日商、神戸製鋼、帝人、太陽鉱工、石川島播磨重工、太平洋セメント、サッポロビール、日本製粉……と錚々たる企業群が飛び出し、いまも綺羅星のごとく輝いている。


鈴木商店は、紛れもなく産業の土台であり、母胎だった。しかも丁稚あがりの金子を筆頭に庶民の活力で飛躍した会社だ。政商から成長した財閥とは異なる。そこが新鮮な感慨をもたらす。


江戸時代に幕府御用商人だった三井は、明治維新後、長州閥の重鎮、井上馨や山県有朋に取り入って勢力を拡げた。岩崎弥太郎が創立した三菱も政府から大量の船舶を払い下げられて海運を独占。いずれも政・官と密着して財閥の礎を築いた。


かたや砂糖の商いに始まった鈴木商店は民のなかの民。独立独歩で商圏を切り拓いた。確かに総帥の金子は政界で飛ぶ鳥を落とす勢いだった後藤新平と結びついて商機を得ている。後藤に献策もした。しかし、商人としての正攻法を貫いた。


ここに平成の現代にも通じる経営の力を感じずにはいられない。鋭利な頭脳と並外れた行動力を備えた金子直吉は、いわゆる仕事の鬼だった。「まっしぐらじゃ」が口癖で、内面に土佐人特有の「狂奔の性」を抱える男であった。
 

いつまでも追谷にふりそそぐせみ時雨が、「正六位 勲四等」と刻まれた金子の墓碑にしみいる。ふと素朴な疑問が頭をもたげる。


不世出の起業家は、どこから来て、どこへ行こうとしたのか。なぜ潰されたのか……
次回から、その足跡をたどってみよう。


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<


こちらの記事は日経ビジネスオンラインより転載させていただきました。
権利者の都合により記事を取り下げる可能性がございます。

Tuesday, 1 July 2008

[ OTHERS ]

JR MARQUES PRESENTS MSGR 10TH ANNIVERSARY PREMIUM NIGHT

MSGR02.jpg
MSGR01.jpg


本日、7月3日の木曜日、あのJR MARQUESくんがプロデューするMSGRの10周年記念パーティが開催されます。


JR MARQUESくん、DAIKIくんだけでなく、うわさによるとTomorrow Is Another day ...でも大活躍だったあのDJチームも再び…
どうなんでしょう Mikael?
どうなんだろ?
あくまでもうわさですが。


会場もVeloursだし、楽しい事ありそうです。
匂うね。
レディースはエントランスフリーです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


Mikaelのdjスケジュール
22:00〜ですので、皆様お早めに!!!

Thursday, 3 July 2008

[ OTHERS ]

ROCK DIARY TOKYO NIGHT . HEDI SLIMAN

TOKYOPARTY.jpg


DAZED & CONFUSED JAPAN
2008 . 07 . 14
1st 22 : 00~ . 2nd 25 : 00~
AT SUPER - DELUXE

Friday, 11 July 2008

[ INFORMATIONS ], [ OTHERS ]

QUANTUM OF SOLACE / 007

Q.jpg
本気で楽しみな続編です。

前作を観たならば盛り上がらずにはいれない、
トレーラー!!!
もし、前作を観ていない方は !!!、
あぁ、ぜひ観てください。
お薦めなんです!!!

Friday, 11 July 2008

[ OTHERS ]

MSGR 10TH ANNIVERSARY PREMIUM NIGHT

R0040114.jpg
R0040341.jpg
R0040060.jpg
R0039755.jpg
R0039947.jpg
R0039753.jpg
R0039561.jpg
R0039713.jpg
R0039725.jpg
R0039734.jpg
R0039790.jpg
R0039883.jpg
R0039540.jpg
R0040543.jpg
R0040517.jpg
R0040513.jpg
R0040448.jpg
R0040465.jpg


<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<


R0040464.jpg

この写真!痺れてる感じ出まくりです。
10周年おめでとうございます!!!

Tuesday, 22 July 2008

« June 2008 | Top Page. | September 2008 »

Recent Posts

  • KREIS Ⅱ / BLACK
  • UNFINISHED 3P / BLACK×GRAY & BLACK
  • ROTTEN / BLACK
  • 中村 蒼 / ATONEMENT / WHITE part.2
  • 中村 蒼 / ATONEMENT / WHITE
  • MEMENT / INDIGO
  • ROTTEN / WHITE
  • MEND PIECE
  • DISCOVERY / BLACK
  • 堂本 剛 / BASEMENT / BLACK DENIM

Categories

  • ( )SEMBL
  • CLOTHES
  • FOODS
  • GOODS
  • INFORMATIONS
  • OTHERS
  • SOUNDS
  • VISIONS

Archives

  • January 2010
  • December 2009
  • November 2009
  • October 2009
  • September 2009
  • August 2009
  • July 2009
  • June 2009
  • May 2009
  • April 2009
  • March 2009
  • February 2009
  • January 2009
  • December 2008
  • November 2008
  • October 2008
  • September 2008
  • July 2008
  • June 2008
  • May 2008
  • March 2008
  • February 2008
January, 2010
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
RSS2.0
Twitter