iPad出たね!!!
iPad、遂に出ましたね〜。
好き者の間では老若男女問わず、議論がかわされていたようです。
ファッション、音楽でもそうですが、今時は、議論する事自体がダサいといった風潮が円満しておりまして、自分が何者かを他人の何かで語るな!!! 的な感じですね。
議論それ自体はダサいかどうかは分かんないですが、内容が面白ければいいと思いますし、そもそも例えば、ダンスを語るのにダンスをやっていないとダメだっていう考えの方がダサいですね。
スポーツ選手でもそうですが、はじめはみんな真似から始まりますし、真似をする段階で議論がないと、方向性が定まらず、筋トレばかりやって、時間を効率的に使えないでしょう。
茶道で "守・破・離" (シュ・ハ・リ)という言葉がありますが、最初はルールを守る(真似る)、少しずつ破る、そして最後は(師匠のやり方から)離れるという意味です。
議論が少なくなればなるほど、結果と表面的な内容のみを拾う事となり、君を愛している&死ぬまで愛している、お母さんは大事だ、仲間の友情は黄金だよとか、普通に生きていれば学習できる事をわざわざ、音楽に(しかも音ではなく言葉に)求める事となり、クリエイションの価値を発見する事ができなくなるでしょう。
例えば、仲間の友情なんて友達とつきあっていけば大切にするのは当然だと思います。
そこから、どうして深めていくか?どうその大切さを表現していくか?の方が大切だと思います。
深くなる、穴を掘りまくるのは大事だと思うんですが...
その為には議論、行動です。
王道は素晴らしい、でも、最高のものが現存するのであるのなら、僕らは何もする必要ない。
実は王道も常に形をつくりかえてきていますし、どんなものでも(気になる事は、または全く知らない事は気にしてみる事も悪くはない。)疑って議論 & 行動あるのみです。
さて、iPadですが、Twitterでもかなりの盛り上がりを見せまして、その議論によってフォロワーが数百人増えた方も!!!
その中で、昨日の発表以前に面白い記事を発見しましたので、ご紹介します。
「タブレットはMac OS XのUIがいいな」という声、「今までにないエキゾチックなUIになるよ」という声、どちらも間違い。
Apple タブレットは単に、iPhoneで始まったUI革命の第2ステップです。
ここでは、その理由を並べてみましょう。
《UIに関する3つの意見》
ハードウェアの話なら、いくらでも予想が立ちますが、ことUIに関しては3派に分かれて、三つ巴の戦いになってます。
ひとつ目は、タブレットもGUI(ウィンドウ、フォルダ、昔ながらのデスクトップのメタファー)しかないと思ってる人たち。あのWindowsタブレットや最近のタッチ対応ノートみたいな。
ふたつ目は、アップルのことだから3Dインターフェイスとかなんか実験的なこと、誰も想像もつかないインターフェイスを用意してるんじゃないか、という夢追い派。
愛と世界平和とパンケーキを運んできてくれるUIですね。
まあアップルも専門家も何十年も前から想像できるありったけのUIは試してるわけですが、それにも関わらず今度こそ、と。
みっつ目は、既存UIの単なる進化形と見る人たち(僕はこれ)。
フォルダとウィンドウはなくて、アプリが画面全体を占拠している。
市場が味方し、コンピュータが門外漢な普通の人たちに新しいコンピューティングのかたちを提供した「モーダル」なUI、ですね。
タブレットはたぶん申し訳ないけど、iPhone OSのUIを若干修正したバージョンになると思います。いやいや、これは歓迎すべきことですよ。
ひどく風変わりで先見の明を備えた、あるひとりのジーニアスが唱えた天才的アイディアの到達点なんですから。
そのジーニアスは今のJesusPhone (iPhone)の興隆をその目で見ることなく2005年にこの世を去りました。
その男の名は、ジェフ・ラスキン(Jef Raskin)。
《ラスキンが夢見た、モーフィングコンピュータ》
ラスキンはヒューマン・インターフェイスのエキスパートでした。
その巨大なエゴに並ぶのは世界広しと言えどもスティーブ・ジョブズぐらいのものですが、そのジョブズに会社を追い出されるまで、マッキントッシュプロジェクトの長を務めていた人です。
アップル在職当時、ラスキンは「information appliance(情報家電)」というUIのアイディアの研究を進めていました。
後に俗世のラリー・エリソン(オラクルCEO)とシスコが、本来の意味とは似ても似つかないものに進化させてしまったコンセプトです。
ラスキンが頭に思い描いた情報家電は、目的がひとつしかないコンピューティング端末でした。
トースターはトーストを焼き、電子レンジは食べ物を温める。
使い方はものすごく簡単なので、誰でも手にとって、すぐその場で使える。
だから、使い方のトレーニングなんて受ける必要もない。
ボタンは多くもなく少なくもなく正しい位置にあり、しかるべきソフトウェアも入っている。
実のところ情報家電--それは常時ネットワークに繋がっている--はあまりにも使い方が簡単なのでユーザーの目に見えないほど毎日の暮らしの一部に溶け込んでしまっている、というものでした。
どっかで聞き覚えないですか? まだピンとこない? そうですか。では、これでどうでしょう。
ラスキンは後に、自分の発想そのものは悪くなかったんだけど、全タスクに対応するよう完璧にデザインされた情報家電を持ち歩くとなるとひとつじゃ済まない、それでダメだったんだ、ということに気づきます。
みんな携帯、カメラ、楽曲プレーヤー、GPS、コンピュータはもう持ってるし、それ以上増やしたくないですもんね。
ところが、そんなラスキンも、タッチのインターフェイスを見て、ふと気づいたんです。ひょっとしてボタンと情報ディスプレイが全部ソフトウェアの中にあったらどうだろう...モーフィング(変体)する情報家電が作れるんじゃなかろうか?
目的に応じてモードを変え、想像しうるタスクすべてを完璧にこなせるもの。
電話かけたい...と思った途端、スクリーンすべてが電話に変わってボタンが現れ、それを押して相手先を選んだりダイヤルできるんです。
楽曲プレーヤー、GPS、ギターチューナー、描画パッド、カメラ、カレンダー、録音など、やりたいことは全てオーケー。
個々のタスク用に特別にあつらえた完璧なインターフェイスを、また画面に呼び出せばいいだけ。
しかも恐ろしく簡単で、どんな人でもすぐ使い方がわかる-。
もう分かりますね。そう、まさに今のiPhoneや類似の端末がやってることです。
ラスキンの予言通り、誰でも使い方がすぐ飲み込めるからこそアップルのガジェットはこんなにも爆発的な成功を収めることができた。
だからこそアプリ(どれも非常に専門的なタスクをこなすよう作られている)が毎日何千回とダウンロードされているのです。
《迫り来る、デスクトップコンピュータの死》
しかしラスキン現役の80年代、それは無理な注文でした。
第一コンピュータ処理能力も足りなかったし、今みんなが知ってるようなタッチ技術もまだ存在すらしていなかった時代です。
当時ラスキンは情報家電のコンセプトをベースにMacを開発したいと考えていました。が、みんな知っての通り、Macintoshは多目的コンピュータの方向へと進化します。
それはスマートな経営判断だったし、唯一実現性のある判断でした。
別々の異なるタスクを処理できるものを目指し、結果としてコマンドラインベースのApple IIやIBM PCよりずっとシンプルな製品になったのですから。
その時に採用したのがデスクトップというメタファーです。
デスク上にフォルダがあって、そこに文書を収納・整理する。「dir」とか「cd」とか「cls」と入力するよりは、ずっと簡単に飲み込めるレベルの概念だったのです。
しかしながらデスクトップのメタファーに慣れるには依然トレーニングが必要でした。
コンピューティングの民主化は進んだには進んだのですけど、まだ使いにくさを感じる人は昔も今も沢山います。
むしろ今の方がデスクトップのメタファーのUIが複雑(かつ抽象的)になった分、前より難しく、覚えるのにかかる時間もかつてないほど長くなってます。
コンピュータに詳しい人はMac OS XやWindowsの使い方が覚えにくいとは認めたがらないけど、友だちのコンピュータの使い方見てると痛いぐらいハッキリ分かるんです。
僕らが当たり前にやってることでも世の中のほとんどの人は未だに使いこなせなくて戸惑ってるもんなんだなぁ、と。
そしてデスクトップのメタファーのUIを使いこなす上で立ちふさがる障壁は、時代が進むにつれ減るどころか、ますます増えてしまってるのが現状です。
その上、ストレージ容量・機能性向上が追い打ちをかけ、便利になるはずが、逆にデスクトップのメタファーでは立ちゆかなくなってる部分もありますよね。
だって毎日のデジタルライフで使うファイルが何千と増える中、これをどうフォルダーで管理したらいいんでしょう?
僕自身もフォルダで管理し切れてない状態です。
アップルとマイクロソフトはデータベースで管理するソフトウェア(iPhotoやiTunes)を投入し、この問題の解決に努めました。
何千件ものファイルを「手作業」で管理する代わりに、この種のソフトでは写真や楽曲の整理に特化したインターフェイスを提供し、コンピュータを「情報家電」に変えてる、というわけです。
それでもまだ完璧とは言えません。
フォルダーを何千とナビして回るのに比べたら簡単ですけど、世の中のほとんどの人が理解できない言葉でやり取りしてることに変わりはありません。
《Windowsタブレットの失敗》
デスクトップコンピューティングが進化し、複雑に入り組む一方、ある事件が起こりました。
ラスキンの情報家電のコンセプトを拡大した製品「Newton」が現れたのです。
それは随分控え目ながらモーフィングインターフェイスを備えたタッチ対応端末でした。が、初のPDA(Personal Digital Assistant)となって、やがて死に絶えます。潰したのは他でもない、スティーブ殿下。
Newton --および後のPalmシリーズ-- は目的を特化したアプリも走らせていたし、ある意味iPhoneやタブレットの初号プロトタイプと呼ぶこともできます。が、スタートが悪かったことに加え、モノクロのスクリーン、常時接続機能の欠如、スピードが痛手となり、失敗に終わってしまいました。 出るのが早すぎて、技術が追いついてなかったんですね。
技術が出揃うと、似たようなアイディアを考える人が現れました。ビル・ゲイツです。
いつの日か世界中がタブレットで走るようになると思ったゲイツは、是非ともそこにマイクロソフトのソフトウェアを走らせてみたいものだと考えます。
その形は正しかったかもしれませんが、氏の場合、ソフトウェアのコンセプトに最初から欠陥がありました。
デスクトップのメタファーをタブレットのフォーマットに応用しようとしたんですね。
ラスキンのアイディアみたいに全く新しいインターフェイスをつくるのではなく、ゲイツはWindowsを新しいフォーマットにし、そこかしこに新しいもの -手書きやジェスチャー認識など、どれもNewtonが先鞭をつけたものですが- を追加しました。
こうして仕上がったコンピュータは、スタイラスや指1本で制御できる点を除けば、他のノートとなんら変わり映えのしないものでした。
無論、Microsoft Windowsタブレットの売れ行きは芳しくなく、医師・看護師が使うニッチなデバイスになってしまいます。
一般消費者の間で一度もブレイクしなかったのは、昔ながらのデスクトップでできるのとそっくり同じことをタブレット形式でやることに誰もメリットが見いだせなかったからでしょう。
しかもタブレットは普通のノートよりさらに割高ですからね。
《iPhoneの成功》
では何故アップルは今頃になってまたタブレットをつくる気になったのか? 答えはiPhoneにあります。
ビル・ゲイツのタブレット構想は市場では鳴かず飛ばずでしたが、ひとつだけ大事な成功を収めたのです。
つまり「デスクトップのUIをタブレットのフォーマットに移植するのは最悪の発想で、失敗する運命にある」ということを身をもって示してくれた。
だからこそジョブズも頑として関心を持とうとしなかったんですね。
その流れを変えるには、それまでとはだいぶ違う何かが必要でした。そしてそれは意外にも、電話というかたちで現れたのです。
iPhone こそは、まさにラスキンが人生の終局に思い描いた情報家電そのものでした。
かたちを変えるモーフィングマシン。
どんなタスクも、その目的に特化したインターフェイスを使って思いのままこなせる。
アプリを起動する度にマシンは新しい端末に姿を変え、そのインターフェイスをビジュアルで顕現させる。
写真専用のボタンもあれば、撮った写真はジェスチャーでナビして回れる。
別の曲に変えたい? 「next」ボタンを押すだけでOK。
電話番号を押すキーもあれば、ショートメッセージやチャット、メール、ツイートを入力するソフトウェアキーボードもある。
iPhoneはこれらすべてのパーソナリティを備え、そのすべてで成功できる端末なのです。
発売されるや否や、みんなその事実を悟りました。
この新ガジェットはアイコンをクリックすると、別の1ダース分ものガジェットに姿を変えるのだ、と。
やがてAppStoreが生まれ、モーフィングの可能性は無限に広がりました。
どれもこなすタスクは1個。
この新しく誕生したコンピューティング・ワールドにはフォルダもファイルもありません。
すべてデータベース駆動です。
情報はあります。端末の中か、あるいは外の雲(クラウド)に浮かんでる。そしてその情報には、これらバーチャルガジェットを通していつでもアクセスできる。
何故って iPhoneは常時ネットに繋がっているから。
ジョブズやアップルの人たちも、これがコンシューマ市場に与える影響を見逃すわけないですよね。
咄嗟にこう思ったはずです。「おい、こいつぁ何もかも変えちまう端末だぜ。まるでApple IIが出た後のMacみたいだ」
新コンピューティング・パラダイム。
それはローテクな友人やPC-Mac広告のママみたいな普通の消費者でも、値段で納得したら飛びつくようなものになるでしょう。
新種のコンピュータは、プロフェッショナルや会社員よりむしろ一般消費者が普通のパソコンでやっているようなことがずっと簡単にできるものになるはずです。
このiPhoneみたいに。
〜中略〜
《革命の第2幕》
〜中略〜
ここで重要なのはAppleタブレット単体でコンピュータ業界に革命を起こすのではない、ということですよ。
コマンドラインのコンピュータに対するMacのような位置づけには、なるかもしれない。
でも革命はiPhoneが生まれた時、既に始まっているのです。
アップルがiPhoneの成功を見て、これこそが消費者が次のコンピューティング時代に求めるものだと感触を得たのなら、この新端末も iPhoneに似ているんだけど、さらにベター&ケーパブルなものになるでしょう。
あるいはこのiPhoneのエクスペリエンスを無視し、魔法のような、舌を巻く、およそ前例のない、誰ひとり想像も及ばない、完全に新しいインターフェイスを創り出したのかもしれません。
みんなに愛と世界平和とパンケーキを運んできてくれるような端末です。
パンケーキ。
はてまたジョブズのご乱心で、ゲイツ卿のデスクトップOSエミュレートしちゃうのかもしれないし。
でも最もロジカルなステップは、iPhoneに続き、ラスキン氏が昔ひとり道筋をつけた方向に進むことでしょうね。
僕から見たら、このタブレットでまたウィンドウに仕切られた環境とデスクトップメタファーに基づくUIも終わるな、という印象です。
いい厄介払いという感想しか出てこないけど。
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以上。
いや〜、ジェフ・ラスキン、カッコいいっすね。
device with one single purpose(目的がひとつしかない端末)なんて、複合的なタスク・パージを目的としたコンピューターをつくる人間が考えている事とは思えないですね。
まさに現代の職人!!!
実のところ、僕はコンピューターマニアでは全くない。
何か問題が出るとすぐに、友達に連絡して解決方法をねだるような輩だ。
だけど、例えば90年代のビートルズが、レデイオ・ヘッドやましてはオアシスではなく、ソニック・ユース、エイフェックス・ツインである可能性の方が高いと思う人が少ないように、常に表層の結果にしか関心がないというのは問題だと思っている。
未だに戦国時代の英雄の話が語られるが、それはつまるところ人殺し、生まれたときからの特権階級であるという面にはみんな無関心だ。
(大体、戦後の英雄達、いわゆる企業家が殆どだが、はあまりにもクローズアップされなさすぎだ、なぜ、人殺しより日本に鉄道を引いた人間や、カップラーメンを作った人間の方が無名なんだろう?
エルビス・コステロのようなイギリス人が "momofuku" というアルバムタイトルでオマージュを出しているというのに!!!
コステロ曰く、「カップラーメンのおかげで、貧しい人間にもチャンスが与えられたんだ。」健康ブームによって偉大な人の功績が自国でたたえられないなんて!!!)
僕は今更、龍馬等、関心がない、もし、あるとすれば現代の龍馬には関心がある。
それはジョブスやラスキンかもしれないし...
えっ?日本人じゃない!!! そんな、もはや世界はネットワークが生まれてぶちこわされたと思っていたよ。
既成概念というものこそ、最も忌むべきものだと僕は思う。
ポール・ウェラーがジャムのときに言っていたように「70年代に(世の中の)カーペットが変わったと思っていたら、洗濯にでていただけだったんだ。結局は元にもどってしまった。」
しかし、本当にそうだろうか?
70年代はジョブス、ラスキン達をヒッピー思想で染め、ヒッピー思想をベースにしかネットワーク概念は生まれなかった事を思うと、絵画から音楽、音楽からコンピューターのように真の革命家の魂は旅をしているだけだと僕は思いたい。
ところで、499ドルのiPadはヴァーチャル・キーボード構想が外付けで終わった以外は皆の期待には添える出来ではないだろうか?
薄さもスゴいしね。
夢をありがとうございます。

